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其中庵

先生、もう起きちゃあどうですか。米と醤油を、勝手元に置いちょきましたぜ」
三日に一度は訪ねてくる樹明と敬治が山頭火の蒲団をひっばがすように言って、枕元に立っていた。
「なんじゃ、来ちょったのか、君たち」
山頭火は樹明と敬治の手にしている三本のビール壜の内容を見きわめてから、ゆっくり起き上った。それから洗面に降りて行き、裏手の井戸の冷水を汲んで顔を洗い、ついでに双肌を脱ぎ、ぬれ手拭で上半身の「脂汗を拭いた。いつもの彼の癖で、そうしないと焼酎がうまくないのである。
山頭火が部屋にもどると、夜具が片づけられて、座敷がすっかり清掃してあった。
「すまんすまん、君たちに掃除をさせてしまうたな。こりゃあどうも、ふた間とも綺麗になっちょる」
樹明の注いでくれた湯呑の焼酎をひと口飲んでから山頭火は、そのときになって座敷をひとわたり見まわし、両人に礼をいう。赤茶けた四畳半ふた間と三畳の間には、塵ひとつとめていないのだ。
山頭火が部屋にもどると、夜具が片づけられて、座敷がすっかり清掃してあった。
「すまんすまん、君たちに掃除をさせてしまうたな。こりゃあどうも、ふた間とも綺麗になっちょる」
 

 

 

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樹明の注いでくれた湯呑の焼酎をひと口飲んでから山頭火は、そのときになって座敷をひとわたり見まわし、両人に礼をいう。赤茶けた四畳半ふた間と三畳の間には、塵ひとつとめていないのだ。
「先生はこのごろ、ちょっとも托鉢に出ちゃあないですの。どこか悪いのではありませんか」
相手を責めるのでなく、ふと山頭火の気力のおとろえに気づいて樹明が訊ねた。
「うむ、句作の方もさっぱりじゃ。つい、その、飲みぐせがついてしまうてのんた。あっはっははっはは…」
さりげなく山頭火は笑声を立てたが、眼鏡の奥の眼には、かるい狼狽があった。
事実、山頭火は托鉢を忘れてしまったように、ながいこと行乞に出ていない。彼が行乞に出ないことは収入がないことにもなり、其中庵を訪ねる詩弟たちは、いやでも山頭火の窮乏を知らされ、その穴埋めをしなすればならない。
しかし詩弟たちは、そういう機会に遭遇することをよろこんだ。そして蜜峰のように奉仕した。だから山頭火は、居ながらに詩弟たちの持参するものを食ったり、飲んだりした。そして山頭火は、自分の腹の中には食べる虫より飲む虫のほうが余計に寄生しているにちがいない、と思ったりする。

 

 

 

 

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「じゃが、季節の歩みちゅうもんは、おそいようでも早いもんじゃのんた。ちょっとの間に草も木も芽吹いてしまうた」
敬治の注いでくれる焼酎を湯呑にうけながら山頭火は、戸外の樹々へ眼をほそめ、樹明の視線をかわした。
其中庵をめぐる樹々はすっかり芽吹いていた。柿・栗・棗・茶・朴の木などで、それらのびっしり芽吹いた梢に、正午近くの春光が漂っていて、耳の遠くなるほど静かである。
「わたしはの、どういうもんか、雑という字や言葉が好きでのんた。ひとりっきりのときなど、
雑草・雑木・雑魚・雑役夫・雑巾・雑兵・雑誌・雑談ちゅう言葉に、頬ずりをしたいほど親しみをおぼえるんじゃよ」
左手で指折り、右手で山羊髯をしごきながら山頭火は言うが、彼の額には、これまで歩いてきた九州路の風景がうかんでいた。
「そうすると先生、その顎髯は、さしあたり雑髯ちゅうことになりますの」
山羊髯とまでは言わなかったが、不遠慮な敬治のことばに、狭い其中庵にどっと三人の笑声がくずれて、山頭火は眼底に涙をたたえて笑った。山ふところの矢足の其中庵からは、人口一万たらずの小郡町の家並が手にとるように見え、その町の家並を、それよりも広い田園が囲続していた。三月もおわりに近い日射しをまぶして青い麦が、たえず揺れかがやいている。

 

 

 

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「先生は前に、型というもんは、出来るのが本当で、そして、それを破るのが本当だとも言われましたが、実は、きょうは、そのことで敬治君と論争しながらここへ来たんです。敬治君は、なんとなく判ると言いますが、わたしにはどうも、いまもって納得出来んものがあるんですい」
難問を持ち出すのが其中庵を訪ねる詩弟たちの共通の性格であったが、樹明はその先鋒といってもよい。
「ほう、話題が随分前にもどるな。もう三年にもなるかな。そういうことを言った記憶があるが、それをいまごろになって持出すとは、いったい、どねえちゅうんじゃ、樹明君」
うれしいときには決って山羊髯をしごく癖のある山頭火は、その山羊髯をしごきながら樹明に軽く詰間する。
樹明はやたらと手を振って、「いえ、つい、うっかりしちょったんですい。その、三年前には、ただ先生の教えを、解ったような顔をして、感心したような顔をして聞いちょっただけですい、わたしたち」
と、あわてて前言を補足する。
「それがいまになって、君たちの句作の歯車を止めたちゅんじゃな。つまり疑問を生んで、ふたりの論争にまで発展したんじゃな」
「そのとうりですい。あのとき、先生の言われた、型を破るちゅうことが、心底から理解出来んことにゃあ、奥歯にものが挾まったようで、どうにも句作出来んのですい、先生」
横合から敬治が発言しそうなのを眼で制して樹明、ビール壜を盾に握り、あえて言う。
山頭火の山羊髯をしごく手がとまった。


 

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「わたしはあのとき、君たちの言う型のことだけを言ったんじゃない。自解作用のことを言ったつもりじゃ。その考えは、三年経ったいまでも変りがない。たとえば樹明君に敬治君よ、批評家たちがこのわをを前後左右から捉えて批評したとする。じゃがそれは、そのときのわたしを前後左右から見ただけであって、その翌日のわたしは別人になって歩いているんじゃ。つまりわたしは、みなの批評に値する法衣を、一枚ずつ脱ぎ捨てて歩いているのであって、わたしには、なんというか、身構えとか型ちゅうもんがない。型らしいものが出来てもすぐ崩れてしまい、昨日の肯定が今日は否定に変っとるんじゃよ。ほんとうのことを言うと、熊本の味取観音時代までのわたしにはほんものの句は一句も出来なかった。じゃから尾崎放哉の句の良さはわかっていても、彼の句のほんとうの良さを肌で感じることが出来なかった。そして、私にどうやら句らしい句が出来るようになったのは放哉が死んでからじゃった。このわたしが網代笠をかぶぞ、行乞の旅に出てからじゃった。じゃからわたしが句作するちゅうことは、実人生の時間の流れとともに歩くちゅうことになる。それをあのとき言ったまでじゃ。どうじゃな、このわたしの気持、わかってくれるか、樹明君に敬治君」
山頭火は両人の眼がうなずくのをまって、また半白の山羊髯をしごきはじめた。
「わかりましたというたら嘘になるでしょうが、なんかこう、痒いところに手がとどいたような気がしますい。その自解作用ちゅうもんが…」
こんどは敬治が樹明に代っていったが、彼の面上からは半信半疑の表情が消えていなかった。

 

 

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樹明も山頭火のことばを十分に理解していない。だが山頭火が山羊髯をしごくときは、機嫌のよいときだと思い、
「先生の作品の中に、ふるさとは遠くして木の芽、ちゅう句がありますが、あれはたしか九州路の作品のように聞いちょりますが、九州路のどの辺で生まれたんですか。小郡で生まれ、小郡で育ったわたしは門外不出ですから、故郷のほんとうの味ちゅうもんがわからんのです。じゃが、そのくせわたしは、あの句にひどく魅れるんですい。いまが木の芽の季節だからかも知れませんが」
と話題をかえた。
「樹明君、うれしいことを言ってくれるのう。あれは……」
山頭火はちょっと眼を閉じていた。それからすぐ眼をひらくと、
「そうじゃ、九州路も最涯ての五島を行乞しとるとき生まれた句じゃ。この其中庵に落ちついてもう四年になるが、たしかそれより五年ほど前じゃったから、足掛け九年になるのう。熊本の街で電車の前に立塞がって死にそこない、義庵和尚の手で得度し、女房、子を捨てて熊本を旅立ったんじゃが、それから二年あまり経ったころじゃった」
山頭火のことばがすこししめりをおびてきたので樹明は、山頭火の湯呑を持つ手を危ぶんだが、山頭火がちょっと頭をふって湯呑を飲み干したので、ほっとした。

 

 

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「わたしは先生、雨ふる故里ははだしであるく、ちゅう句の方に、故里を思う先生の真情を感じますい。季節は多分秋でしょう。どの程度の雨が降っちょったかもわかりますい。おそらく小雨でしょうが」
敬治には他の詩弟にない異質な嗅覚があって、山頭火の胸から感傷をひきだすことを心得ている。
「おお、あれは、ここに草庵を結んで間のないころの句じゃ。三田尻駅のひとつ手前の大道駅で降りて、しばらく行くと、綺麗な白砂と松林の丘がある。大道の人は、繁枝の松原と呼んでいるが、その松原を歩いたとき授かったんじゃ。わしゃあのんた、ほんのいっぺんだけ、故郷の隣の大道まで行乞したんじゃよ。敬治君の推察どうり、そのとき絹糸のような秋雨が降っちょったことと、そこが白砂の松原じゃったことが、つい、わたしの地下足袋を脱がしてしまうた。・・・」
十数年ぶりで故郷の土を足裏に感じた哀歓が言外にあって、山頭火の語調には自作の句意を噛みしめるものがある。
「先生は、どうして三田尻へ托鉢に行かないんです」
言ってしまって樹明は、拙いことを言ったと思った。そしてそれをまぎらわすため、いそいで山頭火の湯呑に焼酎を注いでやった。

 

 

 

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「………」
はたして山頭火は押し黙った。山羊髯をしごく手がとまっている。
樹明と敬治の視線が会ってすぐわかれた。ふたりとも、山頭火の父の竹治郎が大地主で、佐彼村の助役だったことも、母のフサが井戸に投身自殺したことも知っていたし、種田家が没落したため山頭火が早稲田大学を中退したことも、三田尻の句友から聞いている。
「いやあ、まいった、まいった。どうにも故郷のことを言われるのは辛いのう。わたしの母が、
芸者あそびの父に反抗して自殺したことは君たちも、うすうす聞いて知っとるじゃろう。じゃが樹明君よ。いまのわたしは、あのころの暗い運命を背負って歩いてばかりはいないぞ。一滴の酒も口にしない父が、どうして芸者あそびばかりしたのか、それは死んだ父でないとわからん。じゃが樹明君、芸者あそびの出来なくなった晩年の父が可哀想に思われはじめたころから、わたしには、おぽろげながら人生がわかりはじめたんじゃよ」
言外に、父のために三田尻だけは托鉢しないという哀しみがあって、山頭火の眼にはしかし、吐き出してしまったあとの安らかさがあった。むしろ樹明と敬治の表情に、逆に暗い運命を背負わされたようなかげりがあって、もはや両人の追究心はおとろえていた。

 

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樹明とちがって敬治の来庵の目的は別のところにあった。大正十五年四月、四国の小豆島で逝った尾崎放哉の作品と、山頭火の作品の差異や類似点を追究することである。京都帝大出の放哉も、朝鮮火災保険株式会社の支配人という地位を蹴って、山頭火と同様に家庭も妻も捨てた俳人である。それに荻原井泉水の主宰する「層雲」では最上位の俳人で、その異色の作品は全国の俳人の眼を見はらせたものである。
「それはそうと、冬村君はどうしちょるじゃろう。もう十日あまり、いや半月あまりもやって来んのじゃが」
山頭火は敬治の思いを断ちきるように話題を転じた。しかし山頭火は、ほんとうに冬村のことが心配になっていたのである。
「また夫婦喧嘩ですい。困つたもんですい。三日にあけずやらかすんですから、どねえにも整理がつかんですい」
口ほどには困った様子もなく樹明は、にこにこしながら言う。いかにも冬村夫婦の喧嘩の仲裁がたのしそうな表情でもある。
「ありゃあ、もう虫ですい、先生。どうしてあねえに夫婦喧嘩が出来るのか、俳句を作る数より喧嘩の数のほうが多いんじゃから、仲裁もたまったもんじゃありませんい」
敬治はにこりともせずに言う。

 

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「ほう、そりゃあ敬治君偉いじゃないか。わたしはの、敬治君、冬村君のそういうところが頼母しいんじゃ。三日にあげず夫婦喧嘩が出来るちゅうのは、こりゃあなんちゅうても大したもんじゃ。それによ、平然として君たちに、夫婦喧嘩の仲裁をさせるちゅうことは、凡人にはやれんことじゃよ。考えようではこりゃあ、尊敬に価する人物かも知れないよ冬村君は、あっはっはっはははは……」
体を大きく反らして笑声を立てながら山頭火は、また山羊髯をしごいていた。
樹明と敬治は無言で顔を見合わせ、大きく合点をしあった。
山頭火を訪ねるものたちの目的は句作にあるのだが、ひとつには彼らにとって其中庵は息抜きの場所でもあった。家財を飲み潰し、妻子を捨てて、なお平然と飲み喰らい、乞食と詩魂の雑居する山頭火と膝をまじえると、しばらくでも世俗の約束から開放されるのである。
事実、山頭火に師事する詩弟たちは、山頭火に句作だけを師事しているのではない。彼たちは例外なく満たされぬ思いをもっていて、それを山頭火にぶちまけるのである。職場でのこと。政治に対すること、そのほかにも愛欲の問題や家庭の小事もあった。
山頭火はそれらの詩弟の悩みをこころよく聞いてやり、それを理解してやった。そして彼もまたどうすることもできず、ともに高笑し、痛飲した。
持参したビール壜の内容が三本とも空になったのをしおに樹明が、
「帰ります」
といって立上った。

 

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つづいて立上った敬治はちょっと名残りおしそうに口をとがらせたが、樹明に肩を押されて、
ふらりと其中庵を出て行った。
たえず青い麦のゆれる田園の小道を見えかくれしていた樹明と敬治が、やがて野のはてに消えると、山頭火は空のビール壜を畳にころがして、その傍に横になった。それから両手を後頭部で合掌すると、煤けた天井に向って大きく吐息をした。
山頭火の大正時代は暗かった。神経衰弱になって早稲田大学を中退して帰郷したのは明治三十七年の八月である。そのあと吉敷郡大道村(現・防府市大道)で、父の竹治郎と山野酒造場を買いとり、種田正一(本名)の名義で酒造業を営んでいる。二十八歳のおり佐波郡和田村高瀬から佐藤サキノを娶り、その翌年、長男の健が生まれ、父親としての自覚が生まれている。
山頭火が荻原井泉水に師事し、自由律の俳誌『層雲』に投句しはじめたのは、この大道時代で彼が三十歳のときからであったが、家業の酒造業は失敗につぐ失敗で、父の竹治郎は女を連れて逃亡し、山頭火は妻子を連れて夜逃げ同様で熊本に旅立っている。
熊本には、五高に在学中の『層雲』の同人の兼崎地燈孫や、熊本薬専に在学の友枝蓼平に西喜痩脚らがいたので、それを頼ったのである。
熊本に落着いたのは大正五年で、山頭火は地澄孫や蓼平たちの発行していた文芸誌『白川及新市街』に作品を寄せながら、市内の下通りに額縁だの文房具を商う「雅楽多」を経営して、曲りなりにもくらしの道を立てていたが、所詮それは彼の終生を賭ける仕事ではなかった。
大正九年十一月、サキノと合議のうえで離婚し、上京して区役所や一ッ橋図書館などに勤め、文学を志向している。
 

 

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しかし、大正十二年(四十二歳)九月一日の関東大震災に遭い、着のみ着のままで熊本の、離婚したサキノのもとに逃げ帰っている。そして、あらゆる面で人生の壁にぶつかり、大正十三年の五月、熊本の公会堂前を進行中の電車の前に立ちふさがり、乗客や通行人を驚かせている。
そのおりの山頭火はすでに虚無的で、生も死も念頭になく、まるで泥酔者のような歩調であった。だから前方からやってきた電車が巨大な怪物のように見えて、彼はそれに立向ったのである。
が、そのおり通りがかった地方新聞の記者に山頭火は助けられた。そして市内の報恩寺(曹洞
宗)へ連れてゆかれ、住職の望月義庵和尚に訓されて出家得度し、禅僧となり、耕畝と改名すると、市内からバスで三十分くらい離れた植木の、味取観音堂の堂守となっている。
しかし、やはり虚無はたえず山頭火を襲った。それに大正十五年四月七日、句作のうえでもっとも影響をうけていた尾崎放哉が、香川県小豆島の南郷庵で没したため山頭火はその哀しみと山林独居にたえきれなくなり、大正十五年四月二十七日、一笠一鉢の行乞の旅に出ている。が、それは行脚というよりも彷径(ほうこう)といった足どりであった。
"分け入っても分け入っても青い山"
山頭火は九州の日向路でひろった句を思いだし、それを呟いた。味取観音堂を捨てて行乞の旅に出て間のないころで、山の青さが日ごとに濃くなってくる季節であった。

 

 

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連載小説ガイド
まだ陽のある脚

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08-04-01・・・千人針

08-03-04・・・流星

08-02-04・・・兵隊清

07-12-06・・・碁中庵の句会

07-10-31・・・花街の灯

07-9-16・・・俳壇の潮流

07-6-13・・・阿蘇から高千穂峡へ―― 行迄第一歩

07-4-16・・・・ 其中庵

07-2-10 UP ・・・ 「 聖酒徒」

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又田竹栖著
ここでご紹介する著書は、私の父、又田竹栖が著した、俳人、種田山頭火の小説です。山頭火の真実に迫る貴重な小説だと思います。皆さんどうぞご愛読ください。

       又田竹栖の娘  浅川 紀代美
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