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住吉神社の石造燈台

 

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住吉神社の石造燈台

平成19年6月23日

現在の三田尻二丁目・堀口、入川である入間川のほとりに高さ7mに及ぶ石造燈台があります。これはここにある住吉神社境内に建てられたものです。


住吉神社は、正徳5年(1715)、藩の水軍の船頭達によって海上交通の安全を祈願するため、御舟倉(おふなぐら)へ続く入川の河口に創建されました。

1715年といいますと、徳川吉宗が1716年から将軍職についておりますのでその1年前ということになります



この境内に文久3年(1863)に建てられたのが石造燈台です。1863年といいますと、1858年には安政の大獄、1860年には桜田門外の変、そして1866年徳川家最後の将軍、徳川慶喜がついている、というまさに激動の真っただ中、この頃に建てられた、ということになります。歴史の中で見ると面白いものですね。



この燈台、上から宝珠(ほうじゅ)・笠・火袋(ひぶくろ)・中台(ちゅうだい)・竿・基段(きだん)空なる燈籠型で、中台の部分には海上安全、竿の部分には建立にたずさわった世話人、石工そして費用を出した人々の名前などが刻まれています。三田尻の市街地建設にたずさわり本陣を命ぜられた五十君(いぎみ)氏、三田尻浜の大年寄、貞永庄右衛門(さだながしょうえもん)をはじめ、三田尻塩田に関わる商人、国産体温計の生みの親、柏木幸助(かしわぎこうすけ)の父、治助の名前なども見られます。

 

石造燈台が建てられた文久3年という年は、8月18日の政変により三条実美(さんじょうさねとみ)をはじめとした7人の公卿(くぎょう)が京都を追われた(七卿落ち)年です。三田尻の御茶屋(英雲荘)にも滞在していました。そのころ防府にも明治維新で活躍した多くの志士がやってきましたが、その財政的支援をした人たちに、上に書いた、貞永庄右衛門、幽之輔(ゆうのすけ)父子があり、資材を投げ出して援助したそうです。貞永家には、桂小五郎、井上馨ら多くの志士が出入りしていました。貞永家は、屋号を関屋(せきや)といい、塩浜20枚、千石船11隻を持つ問屋口の豪商でした



  この燈台は、激動の明治維新から平成の今日まで、防府の移り変わりを見守っているのです。ちょうど今、入川では高潮対策工事にかかっており、工事業者の方が、「この石段も由緒あるものらしいですよ、撤去後復旧しなくてはならないのです」といっておられました。神社の前から入川に下りる階段のようです、おそらく当時のものなのでしょう。